Profile

代表社会保険労務士の戸田剛の半生!?
今後お会いするであろう事業主様に対しこんな提案をさせて頂きたいのです。 
個々の従業員に適材適所のキャリアを積んで頂き、評価制度を導入し、職業能力やモチベーションを高め、生産性を向上させ、従業員の方のみならず、事業主様共にWIN-WINの関係を築いて頂けるようなお手伝いをしたいと望んでおります。 

従業員の雇用の安定へと繋ぎ、一人一人毎日の業務に対しやりがいを抱きながら、高いモチベーションをキープし、高パフォーマンス(利益)を発揮する。そんな会社作りのサポートができれば幸いと存じております。
CHILDHOOD 〜幼年時代〜
東京都北区田端で生まれました。しかし、両親の都合で1歳になる前に、両親の故郷の山形に帰ったそうです。その後は、将棋の駒で有名な天童市で育ちました。 
小学校、中学校とやんちゃな少年時代を過ごしました。毎日、野球にバスケに川遊び。泥だらけで毎日うちに帰っては母親に叱られたものでした。
CHOICE 〜選択〜
東京都北区田端で生まれました。しかし、両親の都合で1歳になる前に、両親の故郷の山形に帰ったそうです。その後は、将棋の駒で有名な天童市で育ちました。 
小学校、中学校とやんちゃな少年時代を過ごしました。毎日、野球にバスケに川遊び。泥だらけで毎日うちに帰っては母親に叱られたものでした。
MY SCCHOOL DAYS 〜学生時代〜
学校の勉強に、社交ダンスサークル、手話サークル、アルバイトであれよあれよと大学生活が過ぎました。で、いざ就職活動の時期になった時、やりたかったことはアナウンサーでした。しかし、競争率何千倍の世界であえなく惨敗。他にやりたいことがどうしても見つかりませんでした。
FROM PAST TO NOW 〜過去から現在へ〜
そこで、自分の選んだ道は役者でした。いつも集団のなかにいると苦しいのはなぜなのだろう。居心地が良くないのはどうしてだろう。自分ってなに?自分らしくいるってどういうこと?そういうことを探りたかったのかもしれません。役柄を通して、役と自分との違いに気づくことが自分発見への近道なのだ!と信じたのかもしれません。両親の大反対を押し切り、半ば勘当状態で役者の養成学校に通いました。 
が、始めてみたはいいものの、適性がないことに気づき、ダンサーへ転身。 
ディズニーランド、ディズニーシーやたくさんの舞台で踊る機会を頂きました。その間、生活を支えるために、様々な仕事をしてきました。新聞配達、集金。 
大学病院の受付。某大型ビルの管理人。選挙の票数え。寿司職人。警備員…etcetc 
振り幅の大きい生き方だったかもしれません。

※下記はディズニーシーで踊っていた時の動画です!赤い服のがわたしです。9:20あたりで頑張っています^ ^ わかるかな?
TURNING POINT 〜ターニングポイント〜
そうこうしているうちに体力の限界や、もうそろそろ落ち着いてちゃんと働こう、と思い某飲食店で正社員として勤めました。しかし、そこではパワハラ、給料未払い、~年以内に辞めたら違約金70万円…という会社でした。辞めたいけど辞められない。辛い、苦しい、どうしようと悶々と働いていましたが、ある日我慢の限界を超え、辞めてしまいました。 
違約金に未払い賃金。どうしよう、生活出来ない…と途方に暮れていたときに知ったのが労働基準監督署でした。問題の全てを無事解決して頂けました。安堵したと同時に、世の中知っておいたほうが良い知識ってたくさんあるんだな、と思いました。
FROM NOW 〜そして、今〜
そして、こういう争いになる前にもっと雇う側と雇われる側とがその都度話し合い、理解しあいながらがっちり手を組んで仕事の出来る環境作りのお手伝いをしたい、と思い社労士を志しました。 
御覧の通り、わたしには、人事労務関連とは縁遠いキャリアを重ねてきました。自分のやりたいこと、求めることを第一優先にしてきました。一つ一つキャリアを積み重ね着実にステップアップすることが出来なかったことを残念に思っております。 
その思いから、今後お会いするであろう事業主様に対しこんな提案をさせて頂きたいのです。 
個々の従業員に適材適所のキャリアを積んで頂き、評価制度を導入し、職業能力やモチベーションを高め、生産性を向上させ、従業員の方のみならず、事業主様共にWIN-WINの関係を築いて頂けるようなお手伝いをしたいと望んでおります。 
従業員の雇用の安定へと繋ぎ、一人一人毎日の業務に対しやりがいを抱きながら、高いモチベーションをキープし、高パフォーマンス(利益)を発揮する。そんな会社作りのサポートができれば幸いと存じております。
■2018/5/25放送分
■2018/5/31放送分